「バナナブレッドのプディング」的武蔵野風景

大島弓子の漫画「バナナブレッドのプディング」にはある種の人々を強く魅きつける要素があるのだが、私はその手の要素には全く関心がない。その「要素」とは、端的に言うと主人公である三浦衣良の -私はxンxラとかいう下品な表現が嫌いなのであえてダイレクトに言うが-精神疾患的要素のことだ。

私もこの作品はとても好きだ。けど検索するとそっち方面の観点からこの作品をぐだぐだと解説したり分析したり、自分自身の心の闇をさらけだす系な記事が多いので「あー、やべ」とブラウザ閉じる。というかページを開くのもやめておく。他人がどんな解釈をしようが勝手だけれども、電波は受けたくないですからね。

では自分にとっての「バナナブレッドのプディング」とは、その魅力とは、一体何か。

 

それは、ただただここで描かれている武蔵野的風景そのものなんだ。あるいは、それが象徴する何か。

 

さわさわした木々が連なる、武蔵野の黄金色の森。さえこちゃんが奥上くんに「ミルクにパンにコロッケにりんご」を差し入れするところ。西洋風の校舎、草の三つ編み。晩秋、落ち葉が舞う森の中での、奥上くんと新潟教授の別れの逢瀬。そしてカサカサ枯葉の味がする、バナナブレッドのプディング。

 

ただただ、これらのモチーフが好きである。そしてこのようなモチーフで彩られるこの物語は私の中で完全に、晩秋の井の頭公園あるいは玉川上水の風景と重なるのである。(実際白泉社の文庫版のあとがきには「早朝の玉川上水を散歩。一度来てみてすごいから」と書かれている)

 

今でも晩秋の井の頭公園を歩いていると(池の周辺じゃなくてあまり人がいない西園の方とか)、反射的に「バナナブレッドのプディング」を連想する。40年以上も前に描かれたあの世界観は、今なお少しも色褪せないのだ。