歴史に睨まれた国、イタリア

Chiesa Sant Agostino, Amatrice, Italy
(かつてのAmatrice | source)

8月24日未明、イタリア中部でマグニチュード6.2の地震が起きた。その後の、幾つかの街の壊滅的な様子を見て涙がこぼれた。私は今となってはイタリア贔屓ではないけれども、そういう問題じゃない。

破壊し尽くされた街の様子、打ちひしがれた住民の様子を見ると、ショックや悲しみと同時に、ある種のやるせなさに襲われる。今回の災害に関しては、自然の残酷さというより、イタリアにおける歴史の残酷さを思い出さずにいられない。それはつまり、こんなことだ。

 

「イタリアは、古い物の中に現代が肩を寄せ合うようにして生きている国です。地下に駐車場を作ろうと思えば、遺跡が出てきてそれを拒む。家は石造りの古いものばかり。道路はモニュメントや中世の広場を縫うようにして出来上がっている。われわれはね、祖先が作りあげた歴史と向かい合わずしては生活できない。歴史に睨まれながら暮らしているわけです。」

(松本葉 「愛しのティーナ」二玄社より)

 

イタリアにしばらく暮らしFiat500のオーナーとなった松本葉さんが、チンクェチェントのオーナーズクラブを訪問し、何故チンクェチェントはイタリア人に疎まれるのかを、会長さんに訊ねた。それに対する返答である。そして、

 

「我々は古い物の素晴らしさはわかっているけれども、辟易していることも事実です。だからね、クルマのように現代の落とし子のようなものになると、新しさを満載したものに価値を見出すんです」

と続く。

 

確かにこの国は、歴史に睨まれている。

中世の時代には、マラリアや外敵を防ぐために丘の上に多くの街が作られた。敵の侵入を防ぐため、街は迷路のように路地が入り組んでいる。それが現代では裏目にでて、災害時に救助を困難にしている。

ローマ時代、中世、ルネサンス、バロック等数百年も過去のモニュメントや建造物がそこかしこに、当たり前に残るイタリア。それ自体が重要な観光資源で、世界中から多くの観光客が、美しく歴史的な景観を求めて訪れる。私もかつて、そのようなイタリアの小さくて美しい古い街を沢山訪れたし、日本と異なり完璧に歴史的な景観が保存されていることを、ただただ素晴らしいと思っていた。だけど、今は思う。景観を守ることと命を守るのとどちらが大事かなんて、問うまでもないじゃないか…

石造りの古い建物でも、内部の補強で耐震構造にすることは可能だとも聞く。イタリアはこれから、景観と安全を両立させる道を、真剣に考えるべきだろう。

 

追記
倒壊したアマトリーチェの小学校やアクーモリの教会は耐震化工事をしていたとのことだが、手抜き工事の可能性があり、検察が調査に乗り出した。どこの国でもあることだけれども、イタリアの場合こういうことにはマフィアが関わっているケースが多い。そして現実問題として、この国からマフィアを撲滅するのは限りなく困難を極める。この点もまた、イタリアのやるせない闇だ。