異色の傑作 – たそがれは逢魔の時間/大島弓子

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“一瞬 森のむこうが 悪のそうくつにみえた”

(大島弓子「たそがれは逢魔の時間」~ 四月怪談/朝日ソノラマ刊より)

 

大島弓子「たそがれは逢魔の時間」の発表は1979年 週刊少女コミック4号。新春の大御所作家特集みたいなのをやっていて、その一つだった。小学生の時にこれをリアルタイムで読んだ。そしてこれが初めて読んだ大島弓子の作品だった。その頃既に単純なマンガを好まない嗜好があったとはいえ、さすがに小学生には難しかった。(ちなみに山岸涼子の「天人唐草」も同時期の新春特集で掲載されたのだが、これも小学生には相当難解でショッキングな内容だった)

なにしろ主人公は中年男性なので普通に感情移入がしづらい。そこに美少女の女子中学生が絡むのだが、彼女は少女売春をしている。普通に、意味が、わからなかった。親に「『娼婦』ってどういう意味?」などと質問して困らせた記憶がぼんやりとある。そして多分答えははぐらかされたので、ストーリーの本来の意味を追うことができなかった。

だけどこのショッキングなモチーフ(当時にしては)より何より、絵、独特の擬態語、言葉のセンスなどのディテールが、衝撃的だった。これまで見たことのない世界だったのだ。

大人になってから読むと、驚愕するくらいストーリーがよくできているのがわかる。これがオペラとして上演されるのも理解できる。タイトル「たそがれは逢魔の時間」、「魔が刻」という造語、ネーム全体のセンス、すべてが完璧で、素晴らしい。真っ白い銀世界、冬の森、手袋、シチューとワイン…といった「冬」のモチーフも魅力的だ。そして一見、平和に軟着陸したような結末なのだが、最後の2,3ページで主人公の尋常を逸脱した妄想が表現されているところもすごいと思う。

しかしこの物語が一種の大人っぽいファンタジーとして成り立っているのは、発表されたのが1970年代だったからとも言える。「援助交際」などという言葉が一般化した90年代以降ではリアリティがありすぎて、このように品のある物語として成立しなかっただろう。逆に言えば、70年代にこのテーマは先進的すぎてすごかった。小学生が素直に入り込める作品世界ではなかったが(逆に入り込める小学生がいたらちょっと変だ)、読み返す度に味わいが深くなり、後年非常に好きな大島作品の一つになった。

 

それから今でも、葉を落とした武蔵野の冬の木々を見ると、この作品の、冒頭のネームを思い出す。しんと静かな冬の夜に、ほろ苦いホットチョコレートかスパイシーなホットワインを飲みつつ読みたい気分の作品。