蓼科 芸術の森 彫刻公園の魅力 その1

先日なんと21年ぶりに訪れた、長野県蓼科「芸術の森 彫刻公園」。しつこいけど、この公園の魅力について語りたい。

とにかく爽やかで、清々しい場所なんだ。細部の手入れや芝生のコンディションも素晴らしく、これを維持するのは並大抵のことではないと思う。ちなみに中央奥に見える山は蓼科山。

公園はリゾートホテル蓼科に隣接しており、宿泊客はホテルから出入りできるが、一般にも無料開放されている。その経緯は以下前回記事参照。

リゾートホテル蓼科について

山の自然の清流を引き込んだ池と水路も清々しさを強調する。朝、管理の方がきれいに清掃していた。

昔はこれという印象が残らなかった。真夏に横谷渓谷方面から3kmほどハイキングして蓼科湖にたどり着き、その後の見学だったから、とにかく暑かったという印象が強く残ってしまい。

それからその頃はイタリアバカだったので、アートを見る視点も西洋至上主義に偏っていた。その頃の私にとっては、ミケランジェロの白い大理石の彫刻や、ローマの街角で見るようなバロックのダイナミックな彫刻が、最高の美の基準だった。この公園に配置された、日本人作家による、若干湿った情感を漂わせる彫刻群に、魅力を感じることができなかったのだ。

そんな西洋至上主義的価値観に囚われていた自分を振り返ると、未熟だったと思う。

だけど今回は全く違った視点で同じ作品を見ることになり、今度は非常に魅力を感じた。人間何かを見ているようで見えていないことが、往々にしてあるものだ。

こんな開放的で美しい公園で、クラシックのミニコンサートや映画上映会みたいなイベントやったら素敵だろうなと思うんだけど。

宿泊客以外は、蓼科湖の遊歩道から入ることができる。確か左奥に見えるホテル別棟、コンビニ側の階段を降りていっても公園に入れた。

済んだ空気の中、森の木々のざわめきや湖畔の風に包まれて佇む彫刻たちも、気持ちよさそうだ。

私には、長い歳月を経て、自然に抱かれてそこにあり続ける彫刻たちが、生命を持って生きているように見えた。芸術の意味とは、そんな何かを感じ取ることではないか、とも思ったりした。

芸術の価値は、ただその作品自体にだけあるのではない。

私は今回、これらの彫刻群と、この公園が今ここに存在する歴史の流れや意味に、深い感銘を受けたのである。

…って、だいぶ固い物言いになってしまったな。彫刻群は芝生広場の他に、深い森の中にもいるのだ。次回はそちらを紹介。